最晩年まで進化と深化 篠田桃紅さん107歳で逝く
「いつも粋な和服姿で、何事にもぶれず、的確な言葉を発する人。でもプライベートではおちゃめ。
フィギュアスケートの羽生結弦選手やテニスの大坂なおみさんなどの中継に見入り、
若いエネルギーを貪欲(どんよく)に吸収していた」
墨と少しの顔料、大胆かつ簡潔な筆遣いで独自の表現世界を切り開き、107歳で亡くなった美術家の篠田桃紅さん。創作は最晩年まで続き、接した人すべてに「凜(りん)」とした孤高の印象を残した。
「いつも粋な和服姿で、何事にもぶれず、的確な言葉を発する人。でもプライベートではおちゃめ。フィギュアスケートの羽生結弦選手やテニスの大坂なおみさんなどの中継に見入り、若いエネルギーを貪欲(どんよく)に吸収していた」
昨年11月に脳出血で倒れ、1日に老衰のため、都内の病院で息を引き取った。アシスタントを長年務めためいの篠田爽(そう)子さんは「富士山が大好きで、『中は熱い溶岩があっても涼し気に独り立っているところが最高』と。自分と重なるところがあったのでは」と話す。アトリエには描きかけの作品が残っているという。
朝日新聞
美術家 篠田桃紅さん死去 107歳 墨を使った独特の抽象画 #nhk_news https://t.co/SNNuCrNujQ
— NHKニュース (@nhk_news) March 3, 2021
記事によると
墨を使った独特の抽象画で知られ、100歳を超えても旺盛な創作活動を続けていた美術家の篠田桃紅さんが1日、老衰のため東京都内の病院で亡くなりました。107歳でした。
篠田桃紅さんは大正2年、旧満州で生まれ、幼いころ父親の手ほどきで書道を教わり、以後、独学で書道を学びました。
昭和31年に単身アメリカに渡り、ニューヨークを拠点に、墨を使った独特の抽象画を創作しながら、アメリカやヨーロッパで個展を開いて注目を集めました。
帰国後は創作の分野を版画や題字などにも広げる一方で、壁画やレリーフなど建築に関わる制作にも力を入れ、東京の増上寺のふすま絵なども手がけました。
篠田さんは既成の枠にとらわれない、みずからの自由な生き方をつづったエッセイも発表し、昭和54年に「墨いろ」で日本エッセイスト・クラブ賞を受賞したほか、100歳に合わせて刊行した「桃紅百年」や「百歳の力」などの著作も話題を集めました。
篠田さんは100歳を超えても美術館で個展を開くなど意欲的に創作を続け、来月の出版に向けて、「これでおしまい」というタイトルのエッセーを手がけていました。
関係者によりますと篠田さんは1日、老衰のため東京都内の病院で亡くなったということです。
107歳でした。
応援ありがとうございました
ご冥福をお祈り致します
あぁ…亡くなられたんだ
凄く凛としてかっこいい方だなぁって思ってた
ご冥福をお祈りいたします
羽生のスケート見ていたんだね
ご冥福をお祈りします
書家、美術造形作家の篠田桃紅さんの個展
>会場では、この展覧会のために作られた「若い人へ」という10分あまりのビデオメッセージが上映されておりましたが、その最後のほうに、「羽生結弦のスケートの描く線」が美しく素晴らしいというような事をお話しておられて、その瑞々しい感受性に驚きました!
トレースまで見てらしたのか
天と地の演技も見てくれたかな
ほう
美しいよね
この人の作品好きだった
羽生のことも話してくれてたなんて知らなかったよ
素晴らしい作品をありがとう
ご冥福を祈ります
「富士山が大好きで、『中は熱い溶岩があっても涼し気に独り立っているところが最高』」っていうの羽生に通じる
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